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ガオライ日記

浪人時代

私は結局、高校を出てから丸三年間”浪人生”という形をとりました。

それがとても便利だったから。

実際は大学も受けていないし、勉強もしてなかった。



高校に入るまでの私は、全てを周りのせいに出来ていたの。

私が高校を受験する際、滑り止めを受ける事は許されなかった。

受けたとしても、その私立に通える経済力はウチには無かった。

でも、当時の私はその公立の高校に入りたかった。

家のせいで、むしろ親のせいで高校を落としたくなかった。

なんかそれが負け犬な感じがした。

でも結局その高校に入れなかったとしても

それも親のせいにしていたと思う。


私は実際、親の経済力のお陰で多くのものを諦めなければならなかったのも
1つの事実だと思ってる。

それを恥ずかしいと思った時期さえあった。

周りの人間が羨ましかった。

点数だけで平等に評価してくれる勉強も嫌いじゃなかった。

勉強さえ出来てればそんなに惨めになる事も少なかった。


でも実際はそうじゃなかった。


出来ない事があれば、全て家のせいだと思ってた。

問題は自分じゃない、外側にあると思ってた。

人よりも裕福な家庭で育った両親に私の気持ちは分からないと思ってた。


でもそうじゃない。


その亀裂というか歪は高校卒業と共に訪れ、

私の心の健康を奪っていった。

でも

何が嫌なのか

何が間違ってるのか

何がどうしたいのか

全く分らなかった。

だって今まで人のせいにして生きてきてたから。

根拠のない自信とプライドの塊。

勉強できればまあいいと思ってた。


始めの1年は予備校っていう逃げ道があったけど

ソレも無くなった時

目の前が真っ暗になった。

社会のどこにも所属してない排他感。

もう人じゃないって言われてる気さえした。


母親との関係もソレまで以上に悪くなった。

大好きだった父親とも小競り合いが絶えなくなっていった。

どうしたいのかって聞かれても

そんなのこっちが聞きたいよ。って思ってて

でも人の言う事なんて聞く余裕も無かった。


家族なんて所詮違う人間だと思った。

友達なんて要らないと思った。


私の高校は進学校だったせいもあって

大学に行かないなんて有り得ないみたいな状況で

それがまた大きなプレッシャーだった。

食べた物も戻してしまう日々も続いた。

死にたいと思った事は無いけど

そうなったら楽かなって思った事もあった。

今思えばバカな話。


浪人2年目から私の身体に変化が現れて

手の油が枯渇して

相変わらず食べたものも戻してて

でも親には隠してた。

でも顔面麻痺になった時、これはもうどうしょも隠せないわけで

傍から見てたらただ毎日をダラダラ過ごす娘も

本当は苦しいんじゃないかと親が気付いた。

自分も自分が苦しんでる事にそこで始めて気付いた。

特にマミーは、私の顔面麻痺がショックだったらしい。

これがなかったら私は今、中国にいないかもしれない。



それから親もあまり何も言わなくなった。

諦めたわけじゃなくて、見守ってくれるようになった。

私もゆっくり自分を考えるようになった。

逃げてるものと向き合おうと思った。

親が私に出した提案は1つ。


何をしたっていい。いくつまでどうしてたっていい。
家族なんだから好きなだけ好きなようにうちにいればいい。
ただ、20歳になったらバイトでもなんでもいいから
成人として働きなさい。


いっきに肩の力が抜けた。


その2年目が終わる頃には

大学進学に疑問を感じ始めてた。

でも1つの区切りとして、受けようとも思った。

いろんなしがらみを考えてもソレが一番いいと思った。

バイトをして予備校に行ってまたその帰りにバイトにいって

そういう日々が続いた。


でもある日予備校で倒れる。

お腹に走る激痛。

止まらない嘔吐。

予備校の灰色の壁と同じ色の自分の顔。


最近知ったけど、これも自律神経のいたずらなんだって。

現時なおも残るこの腹痛。

きっと無理をしてたんだーね。

まだこの頃は、大学とか受験とかそういうのから抜けきれてなかった。

みんなが歩いていく道に軌道修正しようとするパワーが

マミーとダディとのお陰で回復していただけ。

そのパワーの使い方を間違えていた私はまたもぶっ倒れた。

いつまでこんな事が続くんだろうって思った。

まだなの?まだなの?まだダメなの?っていつも思ってた。

自分が誰よりも可哀相に思えた。



そんな中で始めて受けた三年目の大学受験。

一校だけ学科が通ってしまった事で、はじめて親から要求された。


もう1年がんばってみたらどうだ。


顔面麻痺が治ってから1年目。

その頃もまだ酷かった発作のような腹痛。

でもこの頃の私は、少し強くなってた。

どうしても受け入れられなかったこの要求。



留学に向けて親との、とくにダディとの話し合いが始まる。





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